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たれながし

なんかあれだ、ダダ漏れとかそんなレベルじゃない、なんか色々ヤバイ、マジヤバイ

迷うこと、迷わないこと、道はただひたすら続いていくこと

すべてを懐疑し、すべてを無価値とし、それから再構築する。それが思考の旅である。私の旅はまだ始まったばかりだ。迷うこと、迷わないこと。迷わないことの繰り返しが老化に繋がるのも真だが、流石にどうでもいいことに一々心迷わされたくない。



唐突ですがたまゆらというアニメをご存じでしょううか? このブログはたれながしなので、ある話をしている途中なのに別の話に切り替わっていてもおかしくはないのですが、それは置いといて、たまゆらの登場人物の中にかおるという子がいる。通称かおたん、本人に向かってその愛称を使ったら何故か怒る。趣味はポプル作り、気立てが良く周りのことをよく気遣う子ですが、10話においては少々違いました。


前振りが長くなってしまったので単刀直入に言いますと、彼女は今の趣味であるポプル作りがこれから先も続けられるか? 本当に自分が好きな趣味なのか? そういうことを悩んでいた。そして友達のメールを見る内に、みんなその道の途中であることに気付く。友達からも迷ってもよいということ、そして自分達もかおたんと同じように悩んで、そしてまたそれでも自分なりの答えを見つけて、また進んでいこうとすることに気付きます。


悩むのは良いのですが、私もかおたんみたいに自分にとって本当に切実なことだけ悩んでいたい。贅沢なような悩みですが、そうでもしないとただでさえ神経が散漫になる性質なので、何かしら本当に「自分にとって、今やるべき事」という目標を見つけて、そこに向けて神経を集中させたいのです。どうでも良いことばかりに板挟みになり、しかも私自体腰が据わっていない性質なので、色んな人の意見に振り回され、最後はとうとう心療内科に通院するハメになった……のが今年の二月頃の出来事です。この事に関しては私は、私自身を振り回した周りの人達は、基本的に愛おしい人達ですが、同時に同じぐらい煩わしい人達だとも思っています。愛と憎しみは共に等価に存在するのです。



もう自分自身に病んで負けるのは嫌なので、まずはすべてを懐疑することから始めます。とはいっても基本的に疑り深い性質なのでその辺は大丈夫だとは思っていますが、ニヒリズムと掛け合わせることによってそれをより強固なものへと転化させようと企てております。


例えば、2012年の今年の漢字に「絆」が選ばれました。一見するとみんな協力して頑張っていこう、いとおしい故郷、いとおしい友人、いとおしい家族、そんな繋がりを大切にする言葉だと一般常識では捉えられています。しかし私はあえてこの「絆」という言葉に懐疑の視線で捉えています。人は何かにすがりたいとき、その対象を求めようとします。


しかしそれが本当に「愛」から来ている感情なのでしょうか!? ハッキリ言おう、それは絆を求めようとする人間の身勝手な都合でしかないと!!!!!11 誰もが唯一無二に絆を追い求める訳ではありません。誰もが家族の絆を、友人の絆を、故郷の絆を、本当に愛おしく思っているのでしょうか!? 答えは断じて否! 断じて否!


例えば家族に裏切られた人がいたとしましょう、例えば友人に裏切られた人がいたとしましょう、例えば故郷に裏切られた人がいたとしましょう。果たしてその人達が同じように考えるでしょうか? 人は見ず知らずの内に身勝手な人間になっているのでしょう。もちろんこの私も、そしてこのたれながしている文章も身勝手な文章であります。しかし、それでもハッキリと言いましょう、みんな同じ「絆」を求めていると思うのならそれは全くの幻想だと! 


この他にも、この手の人達が好きそうなコミュニタリアリズムには、正直にいえば明確な敵愾心があるのですが、このことに関しては別の機会に書くとしましょう。



次にすべてを無価値とすることへと進みたいのですが、今すぐ全部すべてを無価値に思えるように進むのは、いくらなんでも性急すぎて私には無理です。よってまずはハッキリと「どうでもいい」と思えることから無価値だと思うように心がけたいと思います。たとえば景気の話や経済の話を聞いて、詳しいことを勉強して折らず分からないまま一喜一憂するのはハッキリ言って時間の無駄です。それならば自分の優先事項や自分のやりたい事を優先するのが先であると私は思います。最終的には、フリードリヒ・ニーチェがいうところの永劫回帰に……まで行けるわけがないので、ある程度妥協したら先に進んで、自身の価値観を選択して再構成していきたいと思います。



とりあえず、私は今目前にある自分がやりたい事、ラノベや哲学やラテンアメリカ文学といった読書や、えろげプレイや、アニメ視聴や、小説書きに邁進していきたいと思います。如何なる方向へと進もうが、良い悪いも無く、ただ道がずっと……ずっと……続いていく。どの道に進むかはその人次第で、周りの人達にどう言われようが進む道を選ぶのはその人なので、最終的にはその人が選ばなければなりません。


ここでたまゆらに戻りましょう、彼女達も自分の進みたい道を決めて、迷いながらも、途中で躓きながらも、それでも一生懸命進んでいるではありませんか!! 私も自分の進みたい道を進んでいきたいと思います。進みたい道に進む人達にサイオー=ホースあれ!