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たれながし

なんかあれだ、ダダ漏れとかそんなレベルじゃない、なんか色々ヤバイ、マジヤバイ

品格について色々調べてみた

結論から言えば正直私の理解の範疇を超えてました。

ただ確実に言えるのは「品格」って言葉を使おうとする人って、その品格についての具体的な説明はしないのねってことだけはハッキリと分かった。

ひん‐かく【品格】
その人やその物に感じられる気高さや上品さ。品位。「―が備わる」
goo辞書『デジタル大辞泉』より。
http://dictionary.goo.ne.jp/smp/leaf/jn2/189041/m0u/

ひんかく[品格]
その物から感じられるおごそかさ。品位。 「 -を保つ」 「 -が劣る」
エキサイト辞書『大辞林 第三版 』より。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?itemid=DJR_hinnkaku_-010

何これ、すっごい曖昧……ここで頓挫するのもアレなので、ここで類語である「品位」もついでに調べてみると、他の意味に貨幣における金銀の割合や鉱石中の有用元素の割合が出てくるけどまぁこっちの意味では無く、その人に備わっている気高さや上品さという意味で出てくる。

ひん‐い〔‐ヰ〕【品位】
1 人や事物にそなわっている気高さや上品さ。品格。「―を保つ」「―に欠ける」
goo辞書『デジタル大辞泉』より。
http://dictionary.goo.ne.jp/smp/leaf/jn2/189025/m0u/

ひんい[品位]
①見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ,おごそかさ。品。 「 -が身にそなわる」 「 -に欠ける」
エキサイト辞書『大辞林 第三版』より。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?itemid=DJR_hinni_-010

品格という言葉を辞書で調べて思ったのは、個人的には「ノーブレスオブリージュ」の概念に似てはいるとは思ったけど、一見似てるけど使われる状況としては正しい表現では無いなと、この説明は後でします。


で、ここから「品格」という言葉が実際どのように使われているかを調べていたときに思ったのが「品格」という言葉だけで解釈……というか額面通りに受け取ろうとすれば逆に何を言いたいのか理解できないという事例が多い印象がありますね。

んでここから事例の説明になるんですが、これががややこしい。まずは過去にあった「品格」という言葉が何故流行ったかを考えないと、何故バズワード化したかの説明もつかない。そこでまずは流行ったきっかけから説明すれば「国家の品格」という本が流行ってそこから2006年に流行語大賞を受賞し、そこから品格という言葉が勝手に独り歩きしバズワード化した。凄いざっくりしてるけど説明としては間違いでは無いと思う。

そんでもって「品格」という言葉が流行ったときに出てきた「品格」が『女性の品格』や『ハケンの品格』の他『会社の-』『日本人の-』『自分の-』『親の-』『男の-』『遊びの-』などがある。(Wikipedia国家の品格の項から一部引用)

うーん、タイトルだけ並べた印象だけでいえば正直そんなのに品格求めてどーすんだよという以上の言葉は出てこない。でもこれブームになったんっすよねぇ、私からすればこの辺から理解の範疇を超えてる現象だと。


ただこれ下世話に解釈をすれば「品格」を求めることで逆説的に「お前には品格が足りない」=「お前には気高さや上品さやおごそかさが足りない」と当てこすりたい対象をdisる言葉にしかなってない感じがするんですが、気のせいですかね?

しかも「で、私に品格が無いとして貴方は何か損をするのですか? もし私に品格があるとして貴方は何か得をするのですか?」の言い合いでだいたいは終わってしまう。だってホントに品格なんか求めてどーすんのさって例だらけだし。


結論:品格という言葉は当てこすりにしか使えないし、そもそもだいたいの対象が品格があっても無意味である。具体的に言えば本文にこれまで出てきた「品格」という箇所を「ノーブレスオブリージュ」にしてみなされ。いかに無茶苦茶を言ってるかが分かるから。

たまには夢や、よく見る悪夢の話でも

夢、といっても叶えたい方の夢ではなく、眠ってるときに見る方の夢ですよ?


私はあまりしょっちゅう夢を見ない方なのですが、その中でも見る夢といえば大体ぶっ飛んでて脈略のない夢が多かったりします。例えば今まで見た夢のなかで一番印象に残ってるのは「TRICKvs地獄少女」でしょうか、内容は山田と上田が地獄少女の謎に迫るというある意味1期の頃の地獄少女と似たような内容なのですが、途中で黒や黄などのDTBのキャラが出てきて大変カオスな夢だったことをうっすらと覚えています。


まあ今回はそんな夢の話をしたいのではなく、むしろ本題は一週間に一度のペースで見る悪夢の話で、その悪夢とは「ペーパーテストを受ける夢」なのですね。ですが「悪夢」という修飾語をつけるにしてはかなりショボく見える内容の夢なのですが、この夢、実は内容の違いこそあれど、はや2年近くずっとこの悪夢を定期的に見続けているから見てる方からすればたまったもんじゃありません。正直もっとマシな夢をみろと。


こんな唐突な話をいきなりしだしたのは、ラテンアメリカの作家であるコルタサルが、自分が見続けている悪夢を「小説を書く」ことで払ったという逸話を思い出して、じゃあそれにならって私も見た悪夢を文章化してブログにでもアップしてしまえば「正直もう見なくて済むんじゃね?」という超安易な発想からこの文章を書き上げたのです。うん、それだけなんだ、それ以上の内容は無いようなんだ、済まない。

持ちうる力を出し惜しみするのは罪なのか?

持ちうる力を(すべてとは言わないが)出し惜しみをするのは罪か? とふと考えた。


きっかけは氷菓で奉太郎が千反田に導かれて、様々な謎を解いていくことになることから。一見この流れ自体に疑問を覚えるところは無いように思われる。しかし私には「氷菓」につづく「愚者のエンドロール」にまで奉太郎が付き合い続ける道理は無いと思うのだ。しかし彼は「愚者のエンドロール」にまで付き合った、それは良いとしてもそこで断る、つまりは出し惜しみすることも出来たのだ。


ここで氷菓を例えに出すのを一旦止めたいと思う。理由は「出し惜しみすること」が論点になるのではなく「奉太郎の考え方」が論点になってしまい、結果本来求めたい答えとは違う答えがでてしまうからだ。では、本当に「出し惜しみ」することが「罪」なのか? 様々な角度から、できればザックリと検証していきたいと思う。

■持ち得ない人間から、持ちうる人間が出し惜しみしてるのを見た場合
→きっと「自分に無い力を、何故出し惜しみしているのか?」と腹立てるだろう
■持ち得る人間が、何故出し惜しみをするのか?
→出しても得なことがない、逆に出すことで問題が発生する、本当に力を出し切れるか保証ができない、等々…理由は様々だ

ここで強引に出たアイディアをまとめると、困っている人間に対して手を貸さないことの不誠実さと、持ち得る人間がその力を発揮したことで逆にマイナスの出来事が起る恐れ、このふたつが対の問題になるのだろう。更にここから論点を噛み砕いてしまえば「ある種のノブレスオブリージュは、どの範囲まで適応されるのか?」ってあれ? 要約したら更に分かりづらくなったぞ……? ええと……簡単にいえば「助けられる人を、どれだけ助けるのか?」という問題である。


ここで正義論の代表格である……と個人的に思ってる作品群であるFateシリーズの登場人物で、この例に当てはめると、衛宮士郎は「助けられる人は、すべて助ける」方法であり、その義父の衛宮切嗣は「できるだけ助けられる人のみを助けるが、多を救うために少を切り捨てる助け方をする」方法である。



さて、これらの例をあげて「あくまで常識的に」解を出すなら「持ちうる人が出せる力/助けられる量」によって決められるべきだというのが私の意見だ。つまりは「己の力量と、その場の状況によって、常に適切に判断せよ」ということである。もちろん、その助けられる側に助ける為の道理が通ってなければ断ることも可能だ。*1


もちろんこれらの例は、飽くまで「正義」を例にしている。よって正義によって判断はしないという態度を取るのなら、どんどん出し惜しみしていってオッケーだ。「ハァ、何でそんな誰も得にならんことをしなければならんわけぇ???」という態度を取っても構わない。もちろんその行動に自分自身が責任を持ちきれるのであれば……の話だが。
 

*1:個人的には「愚者のエンドロール」の場合、助けられる側が助ける側に対しての最低限の誠意も示していないどころか、チャットでの「頼りにはなんないけれど、使い方によっちゃ踊ってくれるのがいるわ」という言葉を鵜呑みにして行動するぐらいなので、むしろ断罪されるべきだと思うのだが。

めどいことについて

めどい……めどいな


昔からずっとめんどくさがりだったから今も何も変わらないような気がするが、とにかくめんどくさい。一応先天的なモノかといえばそうでなく、傾向からすれば中学校三年生の頃からそうだったような気がする。何をするにしてもめんどくさくって、気持ちのギアがかかるのに時間がかかる。


話はそれるが、私の「大人になる」定義はふたつあって、ひとつは良心が痛みそうな物事に対して折り合いを付ける、もっと噛み砕いた言い方をすれば精神が図太くなること。そしてもう一つは精神がスタティックになる、つまりは何事にも心が動かされなくなるってことか。そういう意味では後者の意味では私は大人になったのかもしれないが、前者の意味ではまだ大人じゃない。あと後者の意味でも、笑いについてはかなり甘くて、箸が転んでもおかしい年頃並にちょっとしたことでもよく笑ってしまう。ただ、それでもミルキーホームズ二期であんま笑わなくなったのはどーゆーことだろーかと。まぁこれはいいや。

ネガティブコントロールを殺す為に、ブログを書きましょう

これまでのあらすじ:
2012年1月、インターネット界に数々の侵略を行ってきたアフィブログの諸侯達、だがその栄華も一瞬の輝きにしか過ぎなかった。アニメ界を牛耳るやらおん卿とシャフト帝国の裏のつながりが暴露されると、その事件から民衆はアフィリブログ諸侯達に牙を向けた。

その事件を契機にしたかの関係性は不明だが「ゲーセンで出会った不思議な子の話」から、ドゥヴァール帝国に住むSS職人達の暗躍が確認されるに至った。この事件に対し民衆の一部から「創作でも面白ければいいじゃん」という意見が上がった。

この意見に対し、私は「いや、それ(創作と宣言)はそれ(楽しんで良い)、これ(実話と偽る)はこれ(創作を実話として流すことの問題点)だから…/良い話だからそういう結論にできるんだろうけど、一種の意識コントロールだよこれ?」と突っ込んだ。


本題:
その翌朝に私は、村下神(id:murashit)からある天啓を授かった、その内容は以下の通りである。

blogはいつの日か敵にうちかつことをわたしたちにゆるす「不可視光線」だ。「おまえはもうふるえてなんかいない、わが痩躯よ」。この夏、薔薇は青い。森、それはガラスである。緑の衣におおわれた大地も、私には幽霊ほどのかすかな印象しかあたえない。生きること、生きるのをやめることは、想像のなかの解決だ。生はべつのところにある。誰のためだけでもない、あなただけのために、インターネットは星の海、あなたの生きる惑星(「ほし」と読ませ、さらに「リアル」と読ませる二重ルビ)から打ち上げる、今日のあなたは寝返りを打つ、blogをはじめた今日のあなたは、今日この日から。そして明日には多孔質の朝を掴め、log20/log3次元から絞り出せ。そうだ、この気違いじみた、宗教臭い、矛盾に満ちた日記を批判するところから始めてみては?そうしてようやくわたしは、インターネットという焼け跡に救世主みいだすのでしょう。


The Revolution Will Not Be Jacked-in - 青色28号
http://d.hatena.ne.jp/murashit/20100802#1280724672

そうだ、何かの力に抗うには、別の力を使えば良いんだ!!


インターネットという小さな箱にある無限の宇宙、その中に巣くうネガティブな感情と閉塞感。しかし、そのネガティブな感情が、誰か、或いは「場」そのものにコントロールされているとしたら、どうする? 答えは簡単、インターネットに巣くうネガティブコントロールを殺すにはブログを書けば良いんです!


しかし書いた最初の方は確かに影響力は無いかもしれません。ですがネガティブコントロールから身を守る為の「場」は確実にブログという「場」に形成されているのです。またそのブログを読んだ人がネガティブコントロールから身を守れる術を得られるかもしれない。


インターネットには男女叩き、NTRエピソード、思想叩き、偏りすぎている政治トーク……ありとあらゆる有象無象が存在し、誰かの、或いはその誰かが提供する「場」そのものの力によって、人はネガティブな方向へとコントロールされていくという可能性があります。ここで一つ勘違いをしてはいけないのは、ネガティブな感情そのものには何も問題は無いのです、だってそれは貴方の感情なんだから。しかし、ネガティブコントロールによって得られた感情は、誰か、或いは「場」によって植え付けられいる可能性があるのです!!!11 これが如何に危険な事か!!!! もっと知られるべきだ!!!11


……っと、少々感情的になりすぎましたが、言いたい事は簡単、ブログを書いて、まずはネガティブコントロールから自分を自衛しましょう。さぁ、みなさんもネガティブコントロールを殺す為に、ブログを書きましょう!!

元気とやる気ってどこから沸くのかという話題から膨らんでいったたれながし

何か最近よく思うのですが、私らとかそれよか若い人らよりも、私よりも歳食ってる人らの方が、相対的に元気だなーやる気あるなーと思うことが多いですね。特にお年寄りの方々の元気は異常、ちょっとオイラにその元気とやる気を分けてくれと言いたいぐらい、元気球かよ!


しかし何故に元気とやる気って出てこないんでしょーかと。確かに出る杭は打たれるように年功序列社会は人々のやる気を奪っているような気はしなくもないんですが、私自体高校に上がる前後辺りからもう既にテンション低い状態で、常にぼーっとしてて常に何も考えない人間でした。あと小さい頃もインドア派で常にぼーっと黙々と一人で遊んでいる人間だったので、このテンションの低さは先天的なモノではないかと……!! しかし先天的と言っても遺伝ではないだろうなー、親戚にここまでやる気の無い人間は居ないし。


だから積極的に何かしろって言われてもなー、正直ここはひどいインターネッツでしかテンション上がらないし、だからといってテンション上げすぎると逆に歯止めが効かなくなるし、対処法とか考え付かない。インターネッツだったら画面越しでのコミュニケーションになるからテンションを維持できるけど、リアルだとそういう訳にもいかない。


しかしながらどうも最近内向的な性質の人が増えてるらしく、特に若い人に多いらしいのだが、これからどんどん増え続けたらどうなるのだろう? いや別にどうもしないのかもしれないが、案外不安になってくる。このまま内向的な人間が増え続けてインターネッツの人口が爆発的に増えると「リア充のお兄ちゃんお姉ちゃん達は僕らの秘密基地(インターネッツ)から出ていってよ!(`・ω・´)」みたいな事を言い続けなければいけなくなる。これと似たような問題で「ペルソナ4」っていうアニメがあるのだが、あれを見てるとどうしても「リア充のお兄ちゃん達は僕らの秘密基地(ヲタメディア&コミュニティ)から出ていってよ!(`・ω・´)」みたいに言いたくなってしまう。するとやっぱりあれ見てるリア充のお兄ちゃん達から「(゚)(゚)ミ リア充のお兄ちゃんもヲタクに目覚めただけやで」みたいに返されるのだろうか……?


まぁP4の事は後日TinyRainの方に書くとして、ここでおかしな仮説がひとつ浮かび上がった。それは「リア充のお兄ちゃんも実は自分が非リア充だと思っているのではないか」という仮説だ。言ってしまえばリア充の基準がハッキリしていない為、リア充と非コミュという遠い対象同士ならば比較すればある程度基準が差異の出来るかもしれないが、その中間層にいる人たちはこの基準だと判別がつかない。あとヲタクは自称じゃなくて他称だから……ってヲタについてはどうでもいいか。


「世界は区別しても分からない」と言ったのは誰か忘れたが、確かにリア充に対しての対抗意識……とまではいかずとも別種意識は本当のことをいえば意味がないのかもしれない。しかしながら彼らリア充の世界はあまりにもまぶしすぎる。ここで最初にあげた「元気とやる気」と組み合わせて考えると、あることが見えてくる。それは「元気とやる気」がある奴=「リア充」なのではないか!? そして「元気とやる気」があるように見える種族が「リア充」と呼ばれているのではないか!? ということをッ!!!111



しかしあれだなー、しごとちゅうに何を書いてるのやら、さっさとしごとしろ私よ。

モード奏法に近い感じでたれながしてみた

そういえば最近、モバゲーに批判的な方々が手のひらを返したかのように黙ってしまい、しかも何故かモバゲー版アイマスに嵌ってる人すらいる始末、世の中こんな裏切り行為が平然と繰り返されている現状が怖いですねーと、やや斜に構えすぎた序文で書き始めた自分もどうかと思いますが、とりあえず色々書いていこうと思います。


まず最近目についたのが「なんでも実況J」がやたら面白いってことですね。不謹慎ネタもdisりネタも基本的には「面白ければそれでいい」ってのが私の笑いの信条ですね。それに加えなんJ自体が相当ガラパゴス的な進化を遂げてるので、普通の人では近づかないでしょうし、対して問題にはならんでしょう、たぶん。


そういえばこの文章、演奏方式でいう「モード奏法」に近い感じで羅列されています。いわば状況状況によって書く内容を変えていくという感じでしょうか。創作にも使える方法論ではあるのですが、いかんせん莫大なエネルギーが必要で、それの練習がてらにタイプしています。ただ実際は思い付くまま書いてるので、練習にはまったくなっていないような気がするのですが……そしてこれ書いた後にネタが切れた。


ここで無理やりネタを絞り出すと、TinyRainに書いたノイタミナエントリがやたら燃え上がってますね。次のエントリにも「一応批判記事書いても何もいいことないし、ブコメの「最後の段落、自身のことをいってるのかと」って意見もまったくその通りだし、実際批判書いても意味がないのは知ってる。」っていうなら書くなって話ですが、まぁストレスが溜まるとああいう批判記事が何故か書きたくなるんですよ。良いじゃないですか、莫大なインターネッツの中に一人や二人ひたすら何かに対してやたら文句ばかり垂れている人がいても。


まぁそれは兎も角として、あれ書いた本当の理由って「自分の好みをハッキリさせる」為の一手段であって、実際のところ「本気でノイタミナディストピアを批判する」つもりは毛頭ないです、ハイ。で、今後「ノイタミナの○○が面白いぜ」って言われたら、ポイと例のエントリをその人に投げてやれば、自分の考え方が割りとお手軽に伝わるのです。しかしまー、見てしまった側にしてみれば迷惑極まりないなアレ、さて今後はどうするべきだろうか……こっそりと「書いた」ことを告げただけであの状態なんだから、キュレーションサービスの発展と炎上は比例するんだろうね。今後はもうちょっと固有名詞を避けたり、こっちに書いたりするか。


しかしアレだな、案外普通の人って取るに足らないことで怒り出したりその事に注目したりするんだな。別にノイタミナディストピアをdisったりするぐらいどうでもええやん……って思うのだが。他の事案でも別にゲームブログのはちま氏とやらがどうなろうが知らんし興味無いし、やらおんは潰れろとは思うけど積極的には興味が無いし、アフィリエイトぐらい自由にやらせてやれよと思う反面アフィリエイトで設けようと思ったらその分の時間をどっかで内職した方が儲かるんじゃね? って思うんですが、何かみんなしんどい方しんどい方に向かおうとしてるなーって印象が非常に強い。


ここまで書いて大体30分消費してます。まぁ案外30分で色々書けるんだなーとは思った。ツイッターでもこのペースでツイートし続けることができれば面白いんだけど、書いてる途中でリプライが来て方向が変わるのはモード奏法的にしんどいか。


そういえば最近三時間睡眠が普通になって来て色々困ってます。まぁ週末に近くなると三時間寝て数時間起きて三時間寝るみたいな感じになるんですが、これは如何に。正直な話をいえば仕事でストレス溜まりまくってるのが原因なのですが、まぁもう睡眠サイクル良いかなーと思ってます。理由はしばらく休むよう周囲に譲歩してもらうよりも、このまま放置して重大な事故が起るか取り返せないミスをするかそのままポックリ逝くかの何かが起ればそれで終わるんだから、そっちの方が楽です。自分も頑固なつもりですが、それ以上に周囲が度が外れたぐらいに分からず屋なので、正直たまーに「こいつらの脳内一体どうなってるんだろう……?」って思う事もあります。いや周囲よりも自分の脳内の方が一体どうなってるんだって感じですが。しかし何だ、働く事でいちばんしんどいのが人付き合いであって、それ以外は案外問題にならないですね。もうちょっと何かの要因で緩やかに人口減少しないかなーと不謹慎なことを思ったり。


しかしアレだな、一見世間では真面目やら性格の良い人と呼ばれてる人らの方が、別の方向から見ると相当人格が破綻してることが多いんですよね。まぁ、それは私が性格破綻者なので、自分と周りを比較して、自分を中心に考えた結果そう見えるのかも知れないのですがね。これで40分か、まぁこんなもんか。